
た)をとったこともしばしばあったようです。
調理課長さんに雷を落とされて、学校時代とは比べようもない、わずかな甘えも許されない厳しさに、息子は何度、涙をぬぐったかわかりません。
半年ほど経ったときに、総料理長さんに、「洋食をやってみないか」との誘いを受けました。息子は和食一筋でいこうと決めていましたので、たとえ上司からの誘いでも断わりたかったそうです。これも勉強のため、修行の一つと考えられるまでに大分時間がかかりました。
洋食では昼夜のさまざまなパーティー、結婚式などと重なる日には、数百人単位での仕事になるそうです。目が回る忙しさです。強力なチームワークが必要です。一つの仕事を緒実させるのに、スタッフが総力で料理を作り上げていく、そのエネルギーの凄まじさと、技のすばらしさを息子は身をもって知ったといいます。
洋食での二年間、彼は頑張った後、和食堂に戻りました。
和食堂が、その秋には堂々たる構えの純日本式割烹として新築落成しました。ピカピカの厨房で働かせてもらえる息子はとてもうれしそうでした。そして、見違えるほど元気になったのです。主人と私は何よりも、息子を再び快く温かく迎えてくださった和食の調理課長さんや、スタッフの方々に心から感謝しました。
調理師としての修行はまだまだ続いていきます。この道の修行は、包丁を握っているかぎり終わりがないのではないでしようか。お客さまに、「おいしい」といっていただける料理を一品でも多く作っていくことが、これからも自分の仕事であり夢だといいます。息子を迎えてく
前ページ 目次へ 次ページ
|

|